自己決定している自覚は人生を動かす

私は2人姉妹の次女で、4世代の大家族の中で育った。
曽祖父、祖父母、父母、姉、そして伯母が結婚するまで、私が小学生になるまでは一緒に暮らしていた。

お正月やお盆は親戚一同およそ20人が帰省してきて、みんなでお料理を囲むというのが通常だった。

だから、いつでも私より大人に囲まれていて、
いつでも安心していられた。

私は内弁慶で、
外では心配性で消極的なのに、


家では周りの大人たちを笑わせたいと
おどけてみたりするのが通常でした。

3つ上の姉は友達も多くて優等生でした。

そんな私は、
いつも誰かがそばにいて、困ったら助けてもらえて、

何かを決めることも誰かの意見がすぐにもらえて、

幼い頃は周りのおかげで順調な平和な日々を過ごしていました。

けれど、
反抗期を迎えた高校生の頃から、
反抗期がゆえに、誰かの意見は全てが否定と感じるようになっていきました。

そして、進学をして社会人になるのですが、
この辺りから社会の厳しさを目の当たりにしていくようになるのです。


世間知らずだった私は、日常の些細なことすら
全てが挑戦の連続でした。

若い頃は苦労を買ってでもしろという言葉がありますよね。

本当に、沢山の挑戦や沢山の失敗は、
若い頃というより幼い頃からしておくとよいとつくづく感じています。

幼い頃は、可能な限り自分から挑戦することは避けて通ってきたから、


私にとって大人になってからしてきた挑戦は、
果てしなく高い壁のようにいつも感じていました。

それまでも、「なんとかなる」という言葉が、
私の口癖でしたが、

なんとかなってきてたわけではなく、
なんとか周りがしてくれていた、
周りに頼った生き方だった。

だけど、
そういう生き方をしていても、
結局は自分で責任を取るしかないのだと感じ始めてから、

なんとかなるというより、
なんとかするんだと前進し始めた。

この人生は、どこかへの現実へは運ばれていく。
その結果を求めて翻弄する時代が私にもあったけれど、

結果は先に選択できなくて、
選択するのは結果につながる今この瞬間なのだ。

どんな情報に触れて何を採用して
いつ選択してどんな行動をするのか。

全てが自己決定の連続。

自己決定の連続が自覚に変わると、
選択に責任を持てる。


責任を持てるようになると、
結果がどうであれ、結果から学ぶ事を人はするし、
納得なのです。

あれだけ、周りに頼った生き方をしていた私だけれど、

自分の選択を信じて進んだ結果の今があるのです。

私がそうだったのだから、
未来は可能性しかありません。

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